福岡をゲームのハリウッドに!
─ 『ドラゴンクエスト(以下DQ)』の最新作がDSで発売されるというニュースは、本当に衝撃的でした。
日野 今回はハードが変わるので、いろんな人からいろんなことを言われましたけど、『DQ IX』を出すんだったらDSだよね、という純粋な気持で決まったことなんです。
─ レベルファイブが設立されて、ようやく8周年を迎えたばかりですよね。そんなに短期間で国民的ソフトである『DQ』の2作にかかわって…。何か成功の秘訣みたいなことはあるんですか?
日野 僕らはとにかく一生懸命やることを常に心がけているんです。もちろんかなり運にも恵まれてるとも思いますけどね。8年とは言っても、開発会社の8年って、結構長いじゃないですか。中には1年目のところでもブレイクする会社もあるわけですし。その意味でも、僕らは短期間で大出世したというよりも、地道にやってきたことが認められるようになったんだなと思っています。
─ さて、日野さんは今回ニンドリ初登場ということで、まずレベルファイブについてお聞きしたいと思います。そもそもゲームメーカーって、東京か関西に拠点に構えることが多いですよね。そういう中で、福岡に置いているのはどうしてなんですか?
日野 もともと僕が福岡に住んでいたことが大きいんですけど、ビジネスが大きくなった今でも福岡を離れずにいるのは、やっぱり環境がすごく整っているからなんですね。
─ 環境というと?
日野 ゲームを作ったりするエンターテイメントビジネスをやる上で、まったく支障のないレベルの情報がそろっているんです。地方都市でありながらね。それに東京に比べて住環境がいいですし、家賃も安くて、食べ物もおいしいんです。そのような環境なので、クリエイティブがとてもやりやすいんですね。福岡のことを「ストレスの少ない街」って僕はよく言うんですけど。
─ 都会でありながら、ごちゃごちゃしてないですよね。
日野 モノを作るという行為に関しては、どこでやってもそんなに違いはないと思うんですけど、やっぱり作りやすい環境のほうがいいわけです。その意味で、福岡はとてもモノ作りに適した街だと思ってるんですね。
─ 人材面ではどうなんですか?
日野 もちろん福岡にも優秀な人たちがいますし、『DQ』などの結構大きなタイトルを扱ってきたこともあってか、レベルファイブという名前が知られるようになって、九州の外からの転職組も増えてるんです。スタッフの50パーセント以上は、東京や大阪からの転職組なんですよ。
─ へえ〜! 九州って、優秀な人材が東京や関西に出て行くケースが多いですよね。
日野 その逆のパターンをなんとかできないかということで活動してるんです。
─ 日野さんは「福岡をゲームのハリウッドに」という合言葉に、「GFF」という組織の会長もやってるんですよね。
日野 今は会長らしいことはできてないんですけどね(苦笑)。ちょっと前までは福岡で人材を確保するのがすごく大変だったんです。大学にいい人材がいて、うちに入ってもらいたいなあと思っていても、「東京に出て行きます」という感じだったんです。仕事をするには東京がいいんだと思いこんでいるわけですね。僕らとしてもそのへんを何とかしなきゃいけないというわけで、ガンバリオンやサイバーコネクトツー(注1)などの人たちと話しあって、「福岡にゲーム会社あり」ということを知らしめようじゃないかと、「GFF」というイベントをやったわけです。
─ 2003年に開催されたゲーム・ファクトリー・フクオカですね。
日野 最初はそういう名称で、今はゲーム・ファクトリー・フレンドシップという名称になって、9社が参加しています。
─ それぞれの会社が、開発を協力しあうようなことはあるんですか?
日野 制作上の協力はこれまではやったことがないですね。やっぱりライバル心が強いんです(笑)。それに、作っているゲームのタイプが違っていたりしたんでなかったんですけど、今後はいろいろ協力をしていきたいですね。
PROFILE
日野 晃博 ひのあきひろ
1968年、福岡県生まれ。リバーヒルソフト時代にプログラマー/ディレクターとして『オーバーブラッド』シリーズを手がけ、1998年に株式会社レベルファイブを設立。以降、『ダーククロニクル』や『ローグギャラクシー』など、意欲的なRPGを数多く発表する。現在は社長とプロデューサーを兼ねるとともに、福岡を拠点とするゲーム開発会社を中心とした団体「GFF」の会長でもある。血液型はAB型
福岡のとらふぐ
↑冬はふぐがとってもおいしい季節。福岡取材では、こんなに大きいとらふぐをいただきました。すんごくおいしかったです!!
注1:ガンバリオンやサイバーコネクトツー
ガンバリオンは『ジャンプスーパースターズ』などを、サイバーコネクトツーは『ナルティメットヒーロー』『.hack』などを開発
『脳トレ』がブレイクする前に企画された『レイトン教授』
─ さて、レベルファイブがパブリッシャー(販売元)として初めてリリースする『レイトン教授と不思議な町』が2月15日に発売されますね。このソフトのそもそもの企画の始まりは何だったのですか?
日野 そもそもは、多湖先生のところに飛び込みでお邪魔して「一緒にゲームを作りませんか?」ということから始まったんです。
─ どうして千葉大学の名誉教授だった多湖先生のところに?
日野 僕は子どものときから、「頭の体操」を読んできて、純粋に多湖先生のファンだったんですね。
─ でも、ファンだからと言っても、普通は「ゲームを作りましょう」とは言いには行かないですよね。
日野 最初はミステリーアドベンチャーものを作ろうと思っていたんです。でも、それをゼロから作るのは大変ですし、やっぱりミステリー作家のような人にアドバイスをもらわないと、すごく面白いものにはならないだろうと。中途半端なものは作りたくないですし、誰かの手を借りようと考えたときに、多湖先生のことを思い出したわけです。しかも、最初にお会いしたときから、多湖先生のウケがとてもよかったんですね。
─ とんとん拍子で決まったと。
日野 多湖先生との会話の中で、最初はミステリーアドベンチャーで、その中に使うトリックを一緒に考えてほしいとお願いしたんです。多湖先生はもちろんそれは考えるけど、「頭の体操」という著作があるので、それをゲームにするのもいいかなという話になって、じゃあそれもやりましょうという話になったんです。
─ 最初は『脳トレ』のような『頭の体操DS』という感じのゲームになる予定だったわけですね。
日野 その『脳トレ』が『レイトン教授』を生み出してくれたんです。『脳トレ』ブームが来る前は、「頭の体操」のDS版を先に出して、その後でミステリーものを出しましょうという流れで作っていたんです。ところが、その企画を進めている最中に『脳トレ』が大ブレイクしてしまったんです。『脳トレ』がただのブレイクだったときはよかったんです。「こういうジャンルのソフトも売れるんだ」って喜んでいたくらいですから。
一同 (笑)
日野 でも、文字どおり大ブレイクしてしまうと、『脳トレ』の二番せんじのソフトが雨あられのように出てきて、これはイカンねという話になりまして。レベルファイブがパブリッシャーとして第1弾ソフトを世に出そうというのに、大ブームの影響を受けて企画したように思われるのはよくないですし、そんなことをしていたら誰も応援してくれなくなるだろうと。それで、イチからやりなおすことにして、DS版の「頭の体操」に関しては、一時は凍結してしまったんです。そこで、「頭の体操」に出ているパズルを謎に置き換えて、ストーリーの中に入れることにしたんです。『脳トレ』の面白さとアドベンチャーゲームのストーリー性の両方が楽しめるソフトを作ったら、まったく新しいソフトになるだろうと。そういったことを多湖先生に提案したら、とても共感してくれて、その方向で作ることが決まったわけですね。
─ もともとDSで作ることは決まっていたんですか?
日野 ええ。実はうちのスタッフが、昼休みにずっとDSで遊んでいたんです。その様子を見ていて、ゲームにどっぷり漬かっている連中が、昼休みという自由時間を使ってまで遊びたいゲーム機ってすごいなあと思ったんです。しかも、昼休みに携帯ゲーム機で遊ぶような光景って見たことがなかったんです。もちろん据置機でみんなが遊ぶようなことは多かったんですけど、『マリオカートDS』などで盛り上がっている姿を見て、そんなに楽しめるゲーム機なら、作ってても楽しいだろうなと思ったわけなんですね。
多湖先生
↑2006年10月11日に開かれた『レイトン教授』の発表会では、多湖先生もステージに上がって、「頭の体操」を披露

レベル5のリラックスルーム
↑楽しげなおもちゃがたくさん飾ってあった「リラックスルーム」。この部屋でDSの対戦を楽しんでるんでしょうね

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