宮本茂 時雨殿で10年を語る。

“猫も杓子も”遊んだファミコン
─ ここで、10年と言わず、これまでのハードを振り返っていただきたいのですが、あまり時間がないので、駆け足で…。例えばファミコンに、今キャッチフレーズをつけるとしたら、どんな感じになりますか? “目指せ業務用”とか、“ゲームはここから始まった”とか、いろいろあるとは思うんですが。
宮本 ファミコンは、“猫も杓子も”ですよ。
─ 猫も杓子も、ですか。
宮本 うん。やっぱりゲームは、業務用の「インベーダー」から始まり、次は「ファミコン」なんです。
─ 正に猫も杓子もやってましたよね。宮本さんは、その中で『スーパーマリオ』といった大ヒットを生み出したわけですが、誰も経験したことのない、世界で4000万本売るっていうのは、どんな心境だったんですか? 普通の人なら天狗になったりしそうですよね。
宮本 天狗になるっていうのは一切なかったですね。もちろん、山内(山内溥さん=任天堂前社長、現相談役)の指導のおかげもありましたけど。
『スーパーマリオブラザーズ』画面
↑あらゆるゲームの中でいちばん売れた『スーパーマリオブラザーズ』(1985年)。ちなみに2位はGB版『テトリス』の約3000万本で、1000万本もの差が!


『スーパーマリオブラザーズ』画面
↑現在、シアトル郊外に拠点を構えるNOAは、1980年にオープンしたときはニューヨークに本部を置いていた。宮本さんは、その3年前に任天堂に入社
─ そこは、山内さんのすごさなんでしょうね。でも、4000万本も売れるというのは、やっぱり尋常な数ではないですよね。
宮本 海外で成功したというのは、今思えばものすごい幸運だったんですよね。でも、当時は成功するのが当たり前のように思ってたんです。海外進出が難しいとか、海外で受け入れられるには?といったようなことを考えるよりは、最初から海外を前提につくっていたのでね。そもそも、ビデオゲームというもの自体がアメリカからやってきたものなので、日本の文化を海外に持ち出すといったような意識はまったくなかったんですよ。コンピュータを使ったビデオゲーム会社が、海外にも日本にもあって、それで仕事を始めたわけですし。だから、日本で100万本売れるものが海外で同じように売れるようになっただけっていう認識なので、“世界に”とか肩に力を入れることもなかったんですよ。それに、僕がソフト開発の仕事を始めたときには、アメリカの任天堂(NOA)はオープンしてましたし、ゲーム画面にも「Credit」とか、「Insert coin」とか書いていて、もともと英語でつくってましたからね。
─ とは言え、4000万本も売ったのに、成功するのが当たり前のように思っていたというのはすごすぎです。

ゲームを変えたSFCとGC
─ そして、次に生まれたのがスーパーファミコンですが、キャッチフレーズをつけるとすれば…?
宮本 スーパーファミコンは…(ちょっと考えて)“ファミコンを超える”でしょうか。やっぱりファミコンに足りないモノ、ファミコンで足りなかったモノを全部やりたいっていう感じでした。
─ 文字どおり、スーパーなファミコンというわけですね。
宮本 そうですね。まずスクロールが多層になって、使えるキャラの量がドーンと増えて。ファミコンで表現できなかったことが、大概表現できるレベルになりましたから。まぁ、まだ業務用のレベルには届いてなかったんですけど、家庭用でも十分なことができるようになった満足度の高いハードでしたね。
─ なるほど。それからN64の時代になって。
宮本 N64はあきらかに“3次元”ですよね。3Dにすることで、遊ぶ環境をつくるということが自由になった。
─ 「ゲームが変わる。64が変える。」というキャッチフレーズがありましたが、本当にゲームを変えましたよね。
宮本 変えられたんですけども、同時にゲームについてこれなくなった人たちを大量に生んでしまったんですよ。ゲームをする人としない人が、はっきり分かれてしまったなぁと後で思いましたね。
N64広告
↑N64が発売された当時の雑誌広告。なので汚れてます

ホームヘ